能力の限界まで使い切って『上』に上がっても、さらに厳しい競争が待っている
自分が有利な条件を作った武将
戦国武将で上杉謙信という人が居て生涯100戦以上戦って無敗、ゲームでは無敵キャラになるのが定番の人です。
だが謙信の生涯を検証すると確かに明確な負けは無いものの勝てなかった戦いが多く、「負けなかったが全勝ではない」のが分かります。
武田信玄と戦った有名な4回目の川中島合戦では、武田側の有名武将を打ち取り大損害を与えたが、自軍も大損害を出し撤退している。
その前の関東出兵では10万人もの大軍を擁しながら北条攻めに失敗し、天下を取れず田舎の一武将に留まる原因になった。
謙信の強さは少人数と少人数の合戦で最大限発揮されるが、10万人のような大軍を動かすのは苦手だった。
謙信の武名が轟いてからは「上杉軍が来た」というだけで相手は逃げるようになり、100回以上の多くは実際に戦わなかった。
謙信は後継者を指名せす実子が居なかったため、没後に2人の養子が争って国力を落とし、豊臣家のただの家臣になった。
謙信の戦略は勝敗を見極め、「勝てない敵と戦わない」「勝てる時だけ戦う」を徹底したところにあった。
4回目の川中島の戦いでは上杉軍は武田軍の半数程度だったと思われるが、自軍に有利な条件で戦い打撃を与えるとすぐに引き上げた。
当時の川中島は湿地帯に細い道が通る地形で、伝説のように両軍が布陣する広いスペースは無い。
ある朝上杉軍は霧に紛れて武田軍に迫り、霧が晴れると両軍入り乱れる混戦になり、分散していた武田軍は大打撃を受けた。
ある程度打撃を与えると上杉軍は戦場を放棄して逃走し、越後まで逃げた。
謙信は自分に有利な条件でだけ戦い、不利になったらさっさと逃げるのを徹底していた。
能力が低い人は、弱いグループに居た方が良い
現実の社会では自分より弱い人だけ選んで戦うのは難しく、むしろ自分より強い人と戦うようになっている。
競争社会では学校で1番になると”良い学校”に進学し、そこでは前より遥かに優秀な人達との競争になる。
上の学校でも競争に勝つとさらにハイレベルな東大などに送り込まれ、そこで競争に勝つと今度は世界と競争になる。
少年野球からエースで4番だと甲子園からプロ野球、気が付くとメジャーリーグに送り込まれてしまう。
世界トップの才能があれば良いが、大抵の人はどこかで落ちこぼれるようになっている。
会社や仕事でも競争に勝つほど強い相手との競争になり、99%以上の人はどこかで落ちこぼれます。
人間自分より強かったり優秀なグループに入るとどうしても負けてばかりになる。
例えば会社ではライバルの同僚より少しでも優秀だと昇進するが、昇進する事で競争条件が不利になってしまう。
昇進しないで上のグループとの戦いを避け、あえて下のランクで戦う生き方もある。
自分の能力の限界まで使い切って上位グループに入ったとしても、そこで自分が幸せになれるとは限らない。