古事記日本書紀を一言で書くと、九州の邪馬台国が引っ越して奈良でヤマト国になった
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亡国の民の歴史

今まさに”日本人”の人口が減り滅びようとしているのですが、終わりがあれば必ず始まりがあります。

「日本列島は日本人の所有物じゃないんだよ」と言った政治家が大人気で総理になり、当然のことながら日本を破壊しました。

アメリカでは大統領の就任演説で聖書を引用して神に誓い、政教分離はしていません。

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日本では首相が「日本は神の国」と言うとマスゴミが総動員で袋叩きにし退陣に追い込みます。

日本人による自虐こそ平成以降の日本の衰退の原因で、自分で自分の国を痛めつけて破壊しました。

こんな情けない日本人の始まりは縄文時代で最新の遺伝子研究では、縄文由来の遺伝子は12%程度とされています。


今まで諸説あったのだがこれで「日本人の起源は縄文人」と確定し、従来の絶滅説は否定されました。

従来主流だったのは縄文人という原始人は弥生人との戦いに敗れて絶滅し、弥生人が日本人になったというものでした。

従来説では弥生人は渡来人で、反日学者によれば優秀な半島人が原始人を倒して日本人になったと主張していました。


事実は縄文末期に気候変動で人口が数分の1に減少し、空き地に渡来人が住み着いて水田を作った。

食糧難だった九州の縄文人は渡来人と合流し、稲作を通じて「弥生人」という新人種になった。

弥生人は渡来人と縄文人の合流なので、稲作が東日本に進むと東日本から東北も弥生化した。



九州の国家が奈良に都を移した

最初の渡来人が福岡市の海岸に水田を作ったのは3000年前で、その後1000年ほどかけて本土の大半が弥生化した。

中東でキリストが生れた頃に九州では国家群が生れ、西暦200年代に邪馬台国が存在し卑弥呼が生きていました。

それから数十年後に奈良県では新たな王権が誕生し、巨大な前方後円墳をばかばか作り始めた。


前方後円墳は全国や半島南部でも作られ、ヤマト国家の王やヤマトへの忠誠を示すものと考えられている。

邪馬台国とヤマト国家は別々に存在したのではなく、どうやら邪馬台国グループが東征し奈良に都を移したと考えられている。

九州はどうあがいても日本列島の南端であり、日本全体を統治するには真ん中に移動しなくてはならないからです。


その辺を記述したのが日本書紀や古事記だが、残念な事に実際の東征の時代には文字がなかった。

古事記が書かれたの西暦712年なので、実際の東征の約450年後に書かれた事になる。

関ヶ原の合戦のようすを伝承に基づいて書くような事で、正確でないのはやむを得ない。


記紀で重要なのは「神々は最初九州に住んでいたが、奈良に引っ越した」という事です。

最も重要な役割を果たしたのは神武天皇で、実在説としなかった説がある。

だが魏志倭人伝で倭国は邪馬台国の卑弥呼が統治している、と書かれたわずか数十年後に奈良で最初の前方後円墳が築造されています。


九州の国家は数十年で奈良を支配下に置いて国家建設を始めているので、1世代で大きな変化があった事になる。

それまで奈良は九州と別の国家だったのに短期間で支配下に置かれる変化は、戦争以外に考えにくい。

戦争は普通1世代で決着がつくもので、九州の武将が軍を率いて奈良に攻め込んだことになります。


この経緯も記紀に書かれていて、正確ではないものの何が起きたのか推測する手掛かりになる。

1世代のような短期間で、1000キロも離れた別々の国家が統一されるのは、神武天皇のような武将の存在なしには起こりえない。

だが神武天皇自体が実在したかは別問題で、「神のような武将」として後で創作した可能性もある。


ヤマト国家の創成期は文字が無かったので、今後もこの謎が解かれる事はないのでしょう。