祭りは自分たちの神を祭る事で、それなしにはただのイベントに過ぎない
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ただのイベントと祭りの違い

先日動画か何かで韓国人が日本の祭りを体験し、「我が国にはこういうのはありませんね」と言っているのを見て奇異な感じを受けた。

東アジアの国々はなんとなく同じような祭りがあると思っていたのだが、そうではなかったようです。

日本の祭りは村単位、集落単位でするもので、それが巨大化したのが有名な祭りです。

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祭りの主催者は基本的に神社か寺で、寺社のなんらかの祝い事をするために祭りをする。

欧州のキリスト教の村々でも、だいたい同じように村ごとの祭りがあり、教会を中心とした祭りが行われる。

タイとか東南アジアの国々でも、仏教寺院などを中心とした祭りがあり、インドでもヒンズー教の村祭りがあるでしょう。


村祭りの中心は必ず寺院など村の宗教施設で、それなしに小さな村の祭りは成立しません。

そして小さな村祭りが成立する為に必要なのは封建制で、封建時代を経験した国は村祭りが盛んです。

欧州は王様や地主が群雄割拠する時代があり、日本も武士がしのぎを削る時代がありました。


武士や封建領主にとって小さな村が自分の世界なので、その世界の祭りには特別な意味がありました。

「他の村とは違うんだ」という自負があり、村人が集まり結束を高める事で村々は競い合いました。

封建制が無かった中央集権国家では、こうした小さな村々の文化は育たず、したがって村祭りも存在しない。



自由が無くなれば祭りもなくなる

数年前アメリカのニュースで、小さな町のほとんどが黒人になり、白人が一家族だけになったと報道されていました。

白人が大勢住んでいた頃は教会を中心に白人音楽が演奏され、白人の料理が振舞われ、白人の屋台が並んでいた。

今はそれがアフリカなどの伝統音楽、アフリカ料理、黒人の屋台に変わり最後の白人一家も引っ越しを考えていました。


日本でもある寺の除夜の鐘が「うるさい」と半島系外国人が訴えて、除夜の鐘を廃止した地域がありました。

たかが祭りですが人種や民族が混在すると重大な意味を持ち、「気づいたら違う民族に乗っ取られていた」ような事が起こります。

半島の祭りは日本の村祭りや寺社の祭りではなく、イベントやフェスティバルと呼んだ方が適切です。


地域の人たちが集まって騒ぐがそれだけで、千年前から自分たちの神を祭っているわけではない。

中国にも祭りは有るが少数民族と宗教問題がからんでいて、少数民族が「自分たちの神」を祭るのは禁じられています。

中国は宗教禁止なので寺が祭りの中心になる事も無く、旧正月の祭りはあるが村々の独自の祭りは制限されているようです

こんな風に祭りを見るとその国の自由度とか、民族問題が見えてくる場合もあります