イギリスが負けそうになった時、同盟国の日本は「どっちが勝っても得をするように」ずるがしこく行動した。
一方アメリカはスーパーマンのように全力でイギリスを助けた。
この時日本は2つの超大国を敵に回した
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画像引用:https://nichirendaihonin.hatenablog.com/entry/2019/07/31/211818 歴史の岐路〜タンカー防衛拒否で日米同盟は崩壊へ??? - 日蓮正宗のススメ



30年後の敗戦を決定した1914年のできごと

東欧のウクライナ国境に10万人のロシア軍が集結していて、なんらかの紛争をしかけてくると見られています。

映画やアニメのように単純に侵攻するのではく、情報戦や工作活動を交えてウクライナ崩壊をしかけるでしょう。

対するアメリカも数千人を派遣し、NATO軍として4万人程度の規模になると見られています。

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ロシアは2014年のウクライナ紛争で西側諸国からの経済制裁を受けていて、ずっとプーチン独裁が続いている。

この手の独裁者が考える事は国の利益ではなく自分の権力温存や拡大なので、合理性はなくても良い。

合理的に考えればロシアはプーチンが辞任して欧米と経済協力したほうが良いが、そうはならない。


ロシアはウクライナの親米政権を転覆させ親ロ政権にするのが目的で、欧米は防止したい。

この構図はどこかで見たことがあり、第一次第二次大戦でも同じような事がありました。

第二次大戦で日本はドイツと組んで「独裁主義陣営」になったが、第一次大戦は英米側の「民主主義陣営」でした。


両大戦の間の20年ほどで日本は民主主義陣営から独裁主義陣営に移動したのだが、どうしてこうなったのでしょうか?

事の始まりは1914年に第一次大戦がはじまり、イギリスがドイツに負けそうになったのに始まります。

この時もドイツは科学力や強い軍隊を持ち、Uボートでイギリスを包囲し輸送ルートを分断しました。



同盟国とは生死を共にすること

もう少しで負けそうになったイギリスは同盟国の日本に救援要請したが、日本はイギリスを見捨てる事にした。

実際には日本は欧州に軍艦を派遣したが戦う事はなく様子見し、アジアのドイツやイギリスの占領地を自分のものとした。

イギリスが勝っても負けてもどちらでも良いように振舞い、一見利口そうに見えた。


だが日本はこれでイギリスからの信用を失ってしまい、駆けつけて助けたアメリカとイギリスは無二の親友になった。

第一次大戦前の超大国はイギリスで、大戦後はアメリカが超大国になったが、日本はこの両国を敵にまわした。

大戦後は日米両国が中国大陸の権益で争い、ここでも日本は外交を考えずアメリカから恨みを買った。


アメリカ人がしたかったのは「中国でのビジネス」だったのだが、日本人は「土地を奪おうとしている」と考えた。

こうしてビジネスマンと農民が大戦争をし、ビジネスマン陣営が勝利しました。

何が間違いだったというと日本が「同盟関係」をまったく理解していなかった事で、連合艦隊の総力を挙げてイギリスを救援するべきでした。


たとえ途中で燃料が尽きて漂流したとしても、イギリス人は日本を憎むことはなかったでしょう。

日本政府が損得勘定だけを計算し「イギリスが負けても良いように」行動した事で、30年後の敗戦につながった。

今回もどうせ日本政府は「米ロどちらが勝っても良いように」行動するでしょうが、その考えが日米同盟を決裂に導きます。


1990年の湾岸戦争でも日本政府は「どっちが勝っても良いように」行動し、全てのアメリカ人から憎しみを買いました。

”同盟国”なら犠牲を払って助けるのが当たり前で、それをしないのは同盟国でもなんでもない