2014年の香港民主化デモ、人々は1989年の天安門広場の学生と同じく中国が民主化すると思っていた
画像引用:https://vpoint.jp/photogallery/32491.html 香港占拠デモ撤収で仕切り直し _ オピニオンの「ビューポイント」
香港でゆっくりとした天安門事件
天安門事件とは1989年6月4日の夜明け前に学生ら3000人以上が座り込んでいる中に、中国人民解放軍が装甲車数十台で突入してふみつけ、周囲を固めた兵士が機関銃を浴びせた事件です
当時ソ連崩壊やベルリンの壁崩壊、東欧諸国が次々に民主化し中国も民主化するという機運があり学生たちは民主化選挙を求めて抗議運動をしていた
抗議運動は4月15日に始まり6月4日に最終段階を迎え、広場周辺では戦車がぐるぐると周回し戦車男が戦車を止めたのが外国記者に撮影された
広場への突入は軍事作戦の基本である夜明け前に行われ、生存者を1人も外に出さない為広場に居た全員がなくなるまで続けられた
作戦は1時間以内に終わり証拠を残さないために朝8時頃までに広場にあった「物」はゴミとして全て撤去されました
これが天安門事件のあらましで、事件後に西側諸国から経済制裁を受けたが日本の天皇が抜け駆け的に中国を訪問し制裁を解除させました
それから約30年後に香港民主化運動があり、香港の人々も30年前の北京の学生と同じように中国が民主化すると考えて同じように鎮圧された
1980年代後半の中国はその後の中国より自由で、学生や人民達はごく普通に民主化や自由選挙について話したり意見を発表したりしていた
香港も2020年まで誰が何を言おうと自由であり、中国が何を考えようと香港には及ばない筈でした
香港民主化運動の始まりは2014年で、ちょうどこのブログが始まった頃に数十万人が街頭でデモ行進したり道路を占拠して大騒ぎになっていました
当時中国は表向きだけにせよ香港不介入を守っていて、中国軍や治安部隊や中国警察は香港で活動しない事になっていました
香港行政府は強硬ではあったが西側風に学生と話しあったり強制排除したりし、徐々に沈静化していきました
ゆっくりとしんでいく香港
再び香港で民主化運動が活発になったのは2019年で、逃亡犯条例改正案により香港で逮捕されると中国に引き渡される事になった
2020年には香港国家安全維持法により中国の法律が香港に適用され、中国軍や中国公安・警察が中国に乗り込んできた
民主運動に参加した学生らのほとんどが逮捕され、一部の有名人を除いて裁判すら開かれず行方不明になったままです
現在の香港では政府に不満を漏らすだけでも逮捕される危険があり、人々は無言で香港から脱出する選択をしている
香港の人口は740万人だが3年間で12万人減少していて、数十万人が中国以外の外国に脱出したと推測されている
香港は国外脱出した人口を発表していないが、中国から香港に移住した人も多数いるので数十万人が香港から脱出した
労働人口が19年の399万人から21年には387万人に減っているが、これは民主化運動に参加した世代の若者が国外に脱出したのを示している
香港が不自由になっても中国人にとっては魅力的なので、大陸から香港に移住してくる資産家や労働者も多い
中国以外の外国人はコロナ前は8万人以上居たが現在は7万人程度で、外国人人口も減少している
こうして香港はゆっくりした天安門事件と言える出来事が進行していて、香港は自由という意味で死んだ街になりつつあります