江戸の人は全員が長屋に住んでいた

借家人保護を始めたのは日本陸軍だった
多くの人にとって住宅は人生最大の関心事のひとつで豪邸にせよ安アパートにせよ無関心だという人はほとんど居ないと思います
住宅は持ち家と賃貸に別れますが江戸時代以前は地主や商人を除いて持ち家はゼロ、日本人全員が賃貸住宅に住んでいました
武士の家は大名や土地持ちを除けば借りた土地、借りた家なので役職を解任されると出ていかなくてはなりませんでした
日本で持ち家が急に増えたのは意外にも1941年、昭和16年で太平洋戦争が始まった年でやはり戦争と関係がありました
日本では日露戦争まで軍事力を拡大したがロシアに勝って軍隊が不要になり、大正から昭和1桁時代は兵力20万人を割り込んでいました
当時自動車はなく輸送手段は馬や牛で、実際には軍人の仕事のほとんどは「物を運ぶこと」だったので人数が非常に重要でした
最大90万人だった兵力が20万人に削減されたが日中戦争で徴兵が始まり昭和16年に200万人、終戦時に300万人、なくなった軍人が200万人に達した
政権を握っていた日本陸軍は200万人以上を徴兵したが、借家を追い出され家族が浮浪者になる事態が懸念された
そこで日本政府は「家賃が払えなくても容易に追い出してはならない」という法律をつくり、それが現在まで続いています
この前アメリカでは家賃高騰でホームレスになる人が増えている記事を書きましたが、その時調べたら州によっては一日でも滞納したら即日退去させられる場合がありました
多くの州では1か月滞納すれば強制退去させる法律になっていて、ある人は「家賃を払わず半年住めるのは世界で日本だけ」と指摘していました
これは要するに日本軍が第二次大戦に備えた戦時体制で、兵士の家族が家賃未納で追い出されたら士気が下がるので「家賃未納を理由に追い出してはならない」と定めたのです
大家は家賃滞納した人を追い出すことができなくなり借家人に買い取ってもらい、昭和16年に22%だった持ち家率が終戦後の昭和23年に67%にもなっていました
戦後も借り手保護が存続した
明治の日本政府は欧米から入ってきた資本主義に忠実であろうとし、1930年(昭和5年)の昭和大恐慌では住む家をなくし困窮する人が続出した
1936年(昭和11年)に妹を借金で売り飛ばされたりした青年将校らが決起し226事件を起こし、これをきっかけに陸軍が権力を握り管理資本主義に転換しました
青年将校らが激怒したのは”悪徳商人”が借金のカタに人を売り買いしたり、家賃を滞納しただけで家を追い出すような行為でした
驚くことに日本政府は太平洋戦争への準備で作った賃貸居住者保護を、その後80年も続けていて辞めるべきだという意見はないようです
日本は世界一借り手の権利が保護されているが、それと引き換えに保証人が必要など「借りにくさ」の原因になっていると指摘されています
大家は一度受け入れた借り手を立ち退かせるのが不可能なので、最初の手続きを厳しくする事でリスクを減らしている訳です
江戸時代の家賃は税金と町内会費込みだった
江戸時代はこれとはまったく違う制度でほぼ全国民が借家に住んでいて、農民の農地や住宅地も藩や寺社や貴族や天皇のものでした
日本人の9割以上は農民でしたが大名などから借りた土地を耕してそこに家を建て、土地のレンタル料として毎年年貢を支払いました
では町人はどうするかというと都市住人は時代劇のような長屋で共同生活をし、大家が管理するが土地のオーナーは別に居ます
徳川家康という人はよそ者を絶対に信用せず「三河以来の忠臣」で周りを固め町人も昔からの知人を優遇した
そうした家康縁故の商人が江戸に幕府を開いたときに入ってきて家康から土地を拝領し、幕末まで利権を相続していた
オーナーは彼ら徳川縁故の商人だったり寺社や大名だったりし、大家は代理人として長屋の管理を任されていた人物でした
長屋の入居者は家賃を払うが家賃には町内会費と税金が含まれていて、もちろんNHKの受信料はなかった
家賃は幕府の財源にもなっていて、家賃を払った人は祭りに参加したり共同施設(洗い場、井戸、トイレなど)の利用が許された
トイレは共同で肥料にするため農家が買い取りに来るが、専門業者が「回収」し秋に収穫した野菜を届けに来る物々交換でした
ここで問題になるのが無宿人で幕府は無宿人を取り待って佐渡金山に送ったりしたが、長屋の家賃を払わない無宿人は税金未納者でもあった
幕府はこれを問題視し河原や空き地に住む人を厳しく取り締まり、路上に住むのも認められた人以外禁止にしていた
では江戸時代の家賃滞納はどうだったのかですが、江戸落語では借金取りから逃げ回るネタが多く、厳しかったがすぐ追い出された訳でもなさそうです
職人は収入の1割が家賃だったそうですが、税金と様々な費用込みなのでそれほど苦しくなった
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